岐阜淡墨桜2015見頃と開花状況【疑問まとめ】混雑駐車場は

岐阜の桜の名所である根尾谷の淡墨桜の情報です。

見ごろ


開花 4/6   満開 4/12  ウェザーニュースより

例年は4月上旬 ~ 中旬


下は歴代の桜の見ごろの時期です。



   満開時期    開花

2014年  4/5 ~ 4/12 

2013年  4/6 ~ 4/9     4/1

2012年  4/18 ~ 4/20   4/13

2011年  4/14 ~ 4/19    4/9

2010年  4/8 ~  4/13   4/5


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混雑や渋滞は


かなり混みあいますね。電車と車どちらでもです。

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電車は東京の通勤電車のように例年は人で満杯になります。


車の場合は薄墨の渋滞は有名です。

普通の日の2~3倍の時間はかかると覚悟しておきましょう。


国道157号が特にひどいです。

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過去の口コミですが、見頃の時期の午後の昼間で数キロの渋滞

午前中で500m以上の渋滞、よこに入れる道も少なく1本道で大渋滞になる時もあります。

岐阜から午前中に出発して1時間半時間で着く場所なのに3時間かかった、という声も。


対策としては1つは早朝に出発して回避する方法。


もう1つはみんなと少し違う行動をとるといいです。

電車で1つ手前の水鳥駅に車をとめてそこから電車で移動など。

淡墨桜は樽見駅から歩きで10分ほどなのでまあ許容範囲です。
本数は少ないので前もって時刻表は確認しておきましょう。



〇弁当は

淡墨公園という名の通り、広い場所なのでシートを広げて食べるスペースはあります。


駐車場と行き方


〇駐車場は


あります。観光客がたくさん来ますから付近で臨時でも用意しています。

しかし駐車場待ちになる時や選んで入れないおそれもあります。/


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〇行き方

・電車の場合

名古屋からだと、東海道本線の快速と樽見鉄道を利用して最寄りの樽見駅まで1時間49分で1680円。

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米原からだと1590円でこちらも東海道本線からで1時間55分かかります。

樽見駅からは歩きで15分です。

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桜の特徴



1922年に国より天然記念物に指定

淡墨公園そのものがこの桜を咲かせるため、保護のためにつくられました


・種類 エドヒガン

・幹のまわり      9.9メートル
・枝の東西への広がり  27メートル
・南北への広がり    20メートル


・シーズンに3回楽しめる

サクラの色が時期によって3回変わります。

開花間際のつぼみの段階ではうす紅色で上品な感じ

満開になると艶やかな白

散り始めるとうっすらとした黒色



・ほか

薄墨桜以外にもサクラが咲いていますし、公園内には約3500本の木が植えられています。



淡墨桜の歴史



日本では山高神代桜の次に歴史が古い樹齢がナンバー2の桜。国内で有数の名木にかぞえられます。

樹齢は約1500年で一世紀をゆうに超えます。


伝説によると継体天皇という1500年前の第26代天皇が植えたという説があります。


この天皇は京都での皇位継承で応神天皇の孫と争い、その時の天皇の雄略天皇に嫌われて

うとんじられ一時期遠い岐阜県のこの辺りまで逃げていたとのことです。

その期間なんと18年。それは苦労をしいられたと伝えられます。


しかし流れが変わり、「天皇になってください」と奈良から使いがきて

暗転の日々から一転して26代の継体天皇となったのです。


村の人々には暗い生活の中で大変世話になったとに恩義を感じ植えたのが由来とされています。

ロマンを感じますね。


〇幾度も倒れかけていた。宇野千代が救う

樹齢は1000年を超えてますから淡墨桜はその長い歴史の中で弱くなって何度か枯れかけて倒れそうになってます。


見に行くとわかりますが、木をささえるための柱がぐるっと取り囲むようにあり支えているのでもうかがい知れます。


大きくて古いですから障害物や風雨で枝が折れてしまうんですね。

最初は大正時代の大雪で。枝が雪の重みで折れました。


次に伊勢湾台風という多くの死者がでた台風でも被害にあいました。

昭和の23年にはしぬ寸前までいきました。その時はすごい大手術をおこない


枯れた根と生きた根を取り換えるという当時では大変な作業をしたんです。

また大正生まれの恋多き小説家の宇野千代が

枯れかけた淡墨桜の保護の必要性を熱心に説いたことでも知られます。


1960年代後半にこの古木のあまりの美しさに感激した宇野千代が

「枯れさせてはいけない。ずっと残しましょう」と行政に訴えました。

彼女は作家ですから運動を盛り上げようと淡墨桜を題にした小説を書いたりもしました。


名前は「淡墨の桜」。他にも当時の雑誌にボロボロになっていた淡墨桜のひどさと困った様子をレポートして世間の人に認知してもらうのもしました。


そしてこの活動が実り、より一層と国や岐阜県の周囲が保護をするようになりました。

そんな歴史が近くに併設されている「さくら資料館」で振りかえることができます。


宇野千代とのエピソード、復活のために根をつがせた治療の様子などが見ることができます。

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