節分の由来と意味【くわしい子供に簡単】

2月になると豆まきをする節分。4文字ですが日本のユニークな行事ですね。いったい何でこれをやるようになったんだろうと疑問に思いました。どんな由来があるのか解説しますね。

節分の意味と由来のポイント


・1 漢字の意味から考える
・2 ほんとうは節分は年に4回あったのが、立春のを呼ぶようになった
・3 江戸時代から現在の形になった
・4 追儺(ついな)と呼ばれる儀式が起源


これがポイントです。

1 漢字の意味


節分の漢字の意味から考えてみるとわかりやすいです。

「節 分」ですから

もともとは「季 (節) が (分)かれる時」というのが意味です。

これだと文字が長いから

「ブラピ (ブラッドピット)」 「ケータイ (携帯電話)」みたいに

日本人は長い言葉を短くする習慣がありますから

「節分」と短くした言い方になったんですね。


2 年4回ってなに


節分って 

もともとは豆まきをする2月だけでなく、年に4回あったんですよ。


「季 (節) が (分)かれる時」ですから日本の季節って

2月だけじゃないですよね?

日本には「春・夏・秋・冬」と4つの季節があります。
昔は季節ごとに4回も「節分」がありました。おどろきですね。


季節の変わり目の「立春・立夏・立秋・立冬」の前の日をさして

「節分」と呼ばれてたんです。

そのままだったら年に4回も豆まきしてたかもしれないですね(;^_^

そうじゃなくしだいに「立春の前の日」だけが節分だ、と呼ばれるようになってきたんです。

なんでかっていったら、他の季節のより大事だったからです。

昔のカレンダーと今の暦の数え方はちがいます。

旧暦ってやつです。新暦を採用する前は

上で書いた、4つあるうち

「立春の前の日(2月3日ごろ)」は昔の人にとっては、

今の私たちの12月31日の1年がおわる大晦日にあたるんです。

立春をむかえると2015年から2016年になるように、昔は新年をむかえていました。

1年が終わる日、次の日が新年になる12月31日・1月1日って私たちにとっては特別な日ですよね?

大晦日には紅白歌合戦もあるし、日付がかわれば2014年から2015年に西暦も変わってお年玉ももらえるし特別です。

あとは寒い冬がおわって、これから暖かくなるぞって立春は前向きな気持ちになれます。昔の人にとっても年越しの1年のはじめは大切だったんです。

日本は稲作文化ですから、草花が芽を出す、春が来るのは特に待ち遠しかったんです。だ
から他の季節のは目立たなくなり、忘れられていき

しだいに「節分」といえば、2月の春の節分をさすようになったんですね。

そして昔の人のおおみそかに当たる日に

新しい年をむかえる前に、悪いことをおこす原因となる「邪気(じゃき)」を追い払い

これまでの災いをのぞき、福をまねくために「追儺(ついな)」と呼ばれる行事がおこなわれるようになりました。

それが今現在私たちが知っている鬼を追い払う豆まきとかをする節分の由来となったんですね。

3 いつの時代から節分の行事をやるようになったの?



ハッキリとした時期は不明ですが

現在のような形になって庶民に広まったのは

・江戸時代

になってからといわれています。

町で暮らす町人や、農村の農民もやるようになったのはこの頃だそうです。

それまでは、お偉いさんの宮中で鬼を追い払う年中行事としてやっていました。

4つの目がある面をかぶった方相氏(ほうそうし)が、鉾(ほこ)と盾で悪鬼を追い払うイベントだったんです。

方相氏は鬼をいなくならせる役目をもった役人で、顔に4つの両目がついたお面をかぶっています。

なんか怖いですね(≧≦)

そのお面の姿があまりに怖いために、子供が泣いちゃったり、逆に鬼に見間違えられたりして大変だったようです。

やがて室町時代ぐらいになると宮中では、いためた豆(まめ)でおこなうようになり

江戸時代になると、それを真似て色んな人がやるようになったんです。

江戸時代に、お寺の僧侶や、神社の神主さんが

「なにか新年の前に、おさい銭をたくさん入れてもらえるイベントはないかな~」と考えて

町で寺や神社に呼べば人がたくさん集まる

「お相撲さん、歌舞伎役者」などを呼んで、境内にのぼらせて

豆をまかせたのがきっかけで、広まっていったといわれています。

おさい銭がほしいって、ちょっと現金な理由ですよね(;^_^


毎年、今でもテレビのニュースでも見ますよね。

豆まきの時期になると、寺で「お相撲さんの横綱や、芸能人でテレビに出てる有名人」が

はかまを着て、「おにはーそと」と言いながら豆をまいてる映像を
これはこんなことから始まってたんですね。


4 中国の「追儺(ついな)」の儀式って?


中国の儀式を模しておこなわれたといいましたが

追儺は季節の変わり目ごとに、災いをおこそうとする「気」を

鬼に見たてて、追い払ってしまおうとする行事です。


中国では弓と、藁(わら)でつくった矢でおこなわれました。

この行事は、中国にわたり文化や仏教の知識をえるために渡った遣唐使によって平安時代に日本に伝えられ

ちょうどそのころ、疫病が流行り、農作物は不作で大変な時代になっていたことから

天皇がこの儀式をまねして、病気が流行る原因をなくすために、儀式をおこなったのが日本でのもともとの始まりです。これが時代とともに変化していって今のやり方になったんですね。


鬼は内という地域もある!?

普通は掛け声をするときは、鬼はそと~ですよね。でもある地方では「鬼もうち~」という地域もあるんですよ。驚きですね!

鬼って昔話の桃太郎でもでも嫌われ役ですが、実はそうでもないんですね。

悪い鬼だけでなく、良い鬼もいたんですね。秋田県の男鹿半島の風習の「なまはげ」ってありますよね?

赤ん坊にこわーい鬼が近づいてきて、みんな泣き出す、ニュース映像が思い出されます。

この鬼は神様が姿をかえた形と考えられているんです。だから追い払ったりしないんですね。


また鬼は「見守ってくれてる祖先の霊が姿をかえたもの」ととらえる地域もあります。群馬の鬼石町、入谷の鬼子母神などです。ここでは「福はうち、鬼もうち」と言ったりするんです。

面白いですね!


日本各地の節分

ここでは現在おこなわれている節分の日の寺社でのイベントを取り上げます。


・壬生寺厄除大法会  京都

開催日 2月2日~4日

幕末の新選組で有名な京都の壬生寺で行なわれます。
白河天皇の時代、つまり900年あまりも続く行事。

狂言っていう歌舞伎とともに昔から伝わる演技が行なわれます。
鬼払いを題材にした「節分」という題目です。それとお参りに来た人の厄除けと開運を祈願します


・成田山新勝寺節分会 千葉県成田市

開催日 節分の日

よくテレビのニュース映像が出されます。大本堂近くにすごく大きな舞台をつくりその年の年男になる有名人や、大相撲の力士が、勢いよく下にいる観客の人に豆をまきます。

不動明王という仏様が祭られてますが、その力によって鬼も邪気がなくなり鬼はそとと言わずに、「福はうち」とだけ言われる形をとっています。


・浅草寺節分会  東京都台東区

開催日 節分の日
豆まきが終わった後は、「七福神の舞」が披露されます。大黒様とかの仮装をした人が登場します。

豆まきは「千秋万歳福は内(せんしゅうばんぜいふくはうち)」と唱えられ

鬼は外とは言わないんです。祭られる観音様の前では、鬼も良い心になるとされています。


・平安神宮節分行事 京都

上でのべた平安時代の「追儺式」をリアルに再現した行事です。大儺之儀(だいなのぎ)」をやります。平安時代の装いをした人たちが、暴れまわる鬼を盾と矛で追い払います。豆まきもします。

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